カタバミの写真

ご無沙汰しています。31歳になりました。

風景写真やスナップ写真をとる行為からは遠ざかりっぱなしです。 パスワード管理ソフトから脆弱性を指摘されたアカウントのパスワードを順番に更新しているうちに、はてなブログにログインし過去の記事を目にしました。すっかりご無沙汰しているわけですが、過去の自分の考えがテキストとして残っているのはなんだか一周回って新鮮で、月次ですがブログっていいなと思いました。前回の記事は2年前。2年前の記事でもライフスタイルの変化に言及していたが、変化した後のスタイルは依然として続いており、休日は娘と公園へ繰り出しカメラ小僧からは少し縁の遠い生活になっている。

とはいえ、カメラを持ち出す機会が全く無いわけでもなく、ときどきはカメラを活用している。先日は3歳の七五三祝いを迎えたので、ここぞとばかりにD800とNikon 24-70mm f2.8を担いで記念写真を撮った。"記念写真"と記したが、撮る対象はやっぱり記念を残す意味合いが強い。マニュアルフォーカスのZeiss 50mm f1.4は(僕の腕では)お呼びではなく、スパッとピントを合わせてくれる標準ズームにお世話になる。買ってよかった大三元...果たしてマニュアルフォーカスのレンズを持ち出す日々は返ってくるのか...

下の写真は自分の写真履歴から唯一ネットに上げられそうな写真。カタバミの写真。娘が何の花だろうね?と尋ねてきたのでスマホで写真に残し、家の図鑑で調べた。 しかし残念ながら図鑑では判別がつかなかったので、Webの写真判定のアプリで調べ、(おそらく)カタバミの一種だろうということになった。便利になりましたね。

f:id:zap_eel:20211125163604j:plain カタバミの仲間らしい花の写真。曇りだと花がしぼむ点や、葉っぱがハート型で若干の毛が生えている点などがカタバミっぽい。

↓お世話になった写真判定アプリ
minhana.net

どっこいRX100M5Aを買いました。

前回の更新からだいぶ期間が開きました。娘が生まれて、娘と遊んでる方がブログ執筆より楽しくなったり、Flickrの無料会員の写真アップロード上限が定まり、アップロード先難民になったりで、写真をネットに上げて文章を書くという行為から遠ざかっていました。

一方で写真を撮るという行為は依然として続けていて、というより何なら娘が生まれる以前より撮る枚数は増えていると思う。ただ、写真を撮る対象は娘が圧倒的に増えた。以前のように一人で街をふらついて風景を適当に撮って回るという感じじゃなくなった。

いい悪いじゃなく、ライフスタイルの変化なんだろうと腑に落ちている。

そんな新生活を共にしているのが冒頭にあったRX100M5A。ソニーが誇る傑作コンデジだと思っている。ので買い足した。のだが、

これには、少し腑に落ちていない点がある。 買った時点では良い選択だと思ったのだが、使い始めて少し違和感を感じている。

もともと使っていたカメラはD800。弩級の重さで、重さの面からは、とてもじゃないが抱っこひも、乳児、ミルク、おむつ、etc...に加えて持ち歩きたいとは思えない。

RX100M5Aはそんな悩みの解決策としてぴったりに思えた。 ポケットに入る携帯性。 さっと定まるピント。 きれいに映るレンズ。 動画も結構撮れる。

でも、ディスプレイに写したときに感じる"納得感"が違うのだ。RX100で切り取った瞬間を、仮にD800とplanar 50mm f1.4で撮っていればどんなにきれいに残せただろう。なんて思ったりするのだ。

前述の通りD800を持ち歩くのが得策だとは思っていないのだ、カメラで片手が塞がって子供が疎かになっては本末転倒だと(少なくとも頭では)思っているし、街を歩いていてそんなカメラ小僧を見るたびにヒヤヒヤする。

どうしたら良いのだろう。

答えは出ている。かつてウィージーが云った。

f/8 and be there.

を借りれば、そもそも良い写真を取るには、その瞬間その場所でカメラを構えられなくてはいけない。

少なくとも娘がもう少し大きくなるまで、両手を開けておきたいと思うなら、その場に運べるカメラはハンドストラップでいつでも手放せるコンデジか、スマホぐらいしかないのだ。

タラレバなどなく簡単な話なのである。

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RX100で撮ったバラ園のバラ

メメントモリ。

娘がこの間生まれた。この間と行っても、もう3ヶ月経とうとしているので、そこまでタイムリーな感じはないのだが、日々慌ただしく賑やかな暮らしを送っている。とても幸せだ。

そして、昨日祖父が脳梗塞で倒れたらしい。幸い意識ははっきりしているとのことだが、どうだろう。直接まだ様子を見れていないので心配だ。祖母も1ヶ月前に転んだらしく骨を折っている。どちらもまだ顔を見に行けていない。

地元を離れて時間が経つ。地元には年に数回は帰っているのだが、なんとなく皆変わりなく、地元を離れたときから時が止まっているような気がしていたのだが、実はそれはとんだ勘違いで、知らない間に皆年を取っているのだと急に実感している。そりゃ僕にも娘が生まれるわけだ。

幸い祖父も祖母も意識はあるらしい、生きているうちに生きていることの尊さを再認識できたのは不幸中の幸いかもしれない。今年の年末年始はいつもより濃い時間を過ごせるといいと思う。

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このたぬきは祖父母の家の庭にあるもの。このブログに出てくるのは2度目になる。

過去のたぬきはこちら↓
zap-eel.hatenablog.com